「器」以上の運は来ません。
耳が痛い。
人の器以上の運は来ない。
これは、私も肌で感じております。また、過去から現在もなお、苦い経験をもって確信している原理原則です。
厳密に申し上げれば、器が1㍑容量の人には、1㍑と少しの運が入ります。「おまけ付き」とも言えますし、微調整分とも。
逆に100㍑の容器には100㍑+おまけ分となります。この運の原理原則を基本に置けば、着々と人生の制度設計(デザイン)をこなしていけるわけですが、高望みするのも人の性、身の丈しらずも人の愚、中々どうして、イマイチ正確に右辺と左辺の方程式を捉えることが出来ないものです。
よりLevelの高い運、高望みの運が舞い込む為には、簡潔に二つのことが言えるでしょう。
1、器を広げる=今以上の人間力。
2、準備万端=後は本番を残すのみ。
の、二点が噛み合って、次の段階の運が舞い込むようになっています。これは、いくら「運気」自体が宜しい年、個人の運気が上がり調子でも、犯す事(背く事)が出来ない原理原則でありまして、逆説的に申し上げれば、1、2が化学反応を起こした時には、必ず相応の運がやって来るし、「掴める」ものです。
ここで重要なポイントは、運の異名はチャンス。チャンスを掴むのは、更なる運もありながらも原則は人間力です。
チャンスを掴めない、掴んだチャンスを活かせない、そういう人は、偏った部分だけが吐出して、舞い込んだは良いけれど、長続きしないことがよく見受けられます。身の丈以上の運は、時に害になる。ということです。
分かりやすく言えば、本質的に帝王学を学べていない経営者、人間が出来ていない経営者は、遅かれ早かれ、会社を人をダメにするのです。よく情報産業で見られる傾向ですが、マーケティング力のみに吐出した、偏った準備だけに反応した『運』で掴んだ成功は、ビジネスモデル、スキーム、仕組みのみに経営力を注ぎがちです。表面的なことだけではなく、しっかりとビジネスを支える理念、哲学を有することが求められます。もっと言えば、経営者の人間力が問われます。あるようでないものに価値を見い出すことに専念せずに、内外においても実態を示し、どこまでも実態を重んじる姿勢がないと、流星の如く現れ、流星の如く散ることも少なくありません。かと言って、刹那的でも一時期儲ければ良い・・などと拝金主義の考えもあるでしょう。これは、ビジネスであって、ビジネスではありません。また、投資でもないわけです。余談になりますが、そこにお客様がある限り、小さくとも企業であって、ビジネスでありながらも、そこに社是たるのもの、貢献が基軸になければ何の価値もないという哲学。ここにもっと社会全体が問題意識を持たないと、骨のない経済が、見せかけの商売が若者の目指すところになってしまい、本質的な人間の成長がどこか置き去りになってしまって、口だけ経営者、論語読みの論語知らずを多く輩出することになりかねません。
さて、話は戻りまして、このことはつまり、それだけ天に生かされている証とも言えそうです。また、それだけ高いレベルでの成功と更なる成長は、過酷なまでの試練があるとも言えます。
1、本物、本質を有したものを持つこと。
2、商品化する準備が万端であること。
3、相応しい人間力が備わっていること。
しつこいほどに申し上げますが、より本物、本質をついたものを取り扱うほど、偏った準備だけに「運」は反応致しません。全ての条件が整わない限り、反応しないところが、実に不思議な関わり合いでもあります。
昔からよく言うところで、「成功の前には耐え難い苦労をさせられる。」は、正に、本物のところにしかやってこないのです。逆説で言えば、然程、苦労なく、試練なく、掴んだチャンス、運が作用した事は、確かに本人の魅力、力に賛美はしたいものの、どこかに偏りが・・、どこかがひび割れが・・、また、そのもの自体に重さ(本物)があるものなのかどうか?を謙虚の上に謙虚にとらえて、いずれにせよ「是正・研鑽」をどこまでも念頭に、を肝に銘じたいところです。
とは言っても、これら全ては日々の微調整が利く運もあってのこと・・・。
これもまた意味深です。
これまでの話は人生の節目的、大風呂敷の運の関わり合いを説いてきました。タマゴ、ニワトリ論ではありませんが、人の営みは日々であって、日々の浮き沈みに対応する、微調整が利く「運」があってこそを原点としたいわけです。その積み重ねと飛躍をもって、行く先の姿に通じていく因果律でもあります。
また、日々の運があってこそ、早期の準備に至る、紆余曲折あっても『繋がる』とも言えます。
大志あっても無念で終わることほど、辛いものはありません。
この大半が、日々の運についての概念不足が原因となっております。分かりやすくこう考えて下さい。
年⇄月⇄日
天⇄人⇄地
この相関図から何か感じないでしょうか?
『運』の起点は、日であり、人である。という見方です。この事は、始まりでもあり、終わりとも言えます。
日の積み重ねが月であり、月の積み重ねが年である。人(努力)の積み重ねが天(機会)が得られ、更なる人(努力)が地(環境)を作る。※様々に設定は出来ます。
この原理原則をついつい忘れてしまう、ついつい飛ばしてしまうのが、人の怠慢さ、という厄介な煩悩です。
下記は「原理原則の何となくをとらえる」上で参考にしてみて下さい。
「日々の微調整が利いていない感じがする。」
と、思われる方はまず運がない。と思ってもらって間違いございません。
「何をしても堂々巡り、進化がない。」
と、思われる方は志からを見直したい。
「真剣勝負で挑んではいるが、なかなか開かない。」
人、物、サービスが本物か、本質を突いているのか?今一度、見直したい。
「確信を持って、真剣勝負で挑んではいるが、チャンスが来ない。」
最後は人間性を問われる。にどこまでも謙虚に。
総じて、器に見合った「運」の掴み方、育て方、それ以上の「運」に見合った「器」の作り方、磨き方には、原理原則が常に働いているということ。背けば、虚、偽、刹那。従っても、苦労は付きものです。
ならば、最終に頼れるのは何なのか?
『情熱なき者』に、どんな成功もなし難い。ここを締めの言葉とさせて頂きます。


